神戸出身の私が、進学を機に関西を離れて東京生活をスタートさせてから、もうそこそこの年月が経ちました。慣れたはずなのに、今でもふとした瞬間に「あ、これ東京っぽいな」「関西だったら絶対こうじゃなかったな」と思う瞬間があります。今日はそんな、関西出身の私が東京生活で感じてきたカルチャーギャップについて、思いつくままに書いてみようと思います。
神戸から東京へ。引っ越して感じた最初の違和感
関関同立のどこかの大学(伏せておきます)を出て、社会人になるタイミングで東京に出てきました。学生時代はずっと関西圏で過ごしていたので、東京生活は本当にゼロからのスタートでした。電車の乗り換えの複雑さとか、人の多さとか、家賃の高さとか、わかりやすいカルチャーショックはもちろんたくさんあったのですが、私が一番びっくりしたのはもっと感覚的な部分でした。それが「言葉のトーンに対する感じ方」と「知らない人との距離感」の2つです。この2つ、東京に来てから数年経った今でも「あ、やっぱり違うな」と思う瞬間があるので、順番にお話しさせてください。
標準語は「静か」で「怖い」。関西弁とは真逆の感覚
よく「関西弁は怖い」というイメージを持たれることがあります。テレビの影響なのか、語気が強く聞こえるからなのか、標準語話者の方からすると関西弁は威圧的に感じられることがあるらしいです。これ、東京に来て何度か言われたことがあって、最初は「そうなんだ」くらいにしか思っていなかったのですが、だんだん自分の中で「あれ、逆じゃない?」という気持ちが強くなってきました。
というのも、関西人的な感覚からすると、落ち着いたトーンで淡々と標準語を話されるほうが、実はずっと怖いんです。関西弁って、抑揚がはっきりしていて、感情が声にすぐ乗るというか、怒っていても笑っていても表情と声がセットで伝わってくる感じがあります。だから「あ、今この人はちょっと怒ってるな」「今は機嫌がいいな」というのが会話の中で自然にわかる。一方で、標準語のフラットなトーンで淡々と話されると、感情の起伏が声に出にくい分、「この人、今何を考えているんだろう」「もしかして怒ってる?」と読み取れなくて、逆に緊張してしまうことがよくあります。
これは決してどちらが良い悪いという話ではなく、単純に「聞き慣れているイントネーションの違い」なんだと思います。関西弁のリズムで育った耳には、感情の起伏が声に乗っている状態の方が「安心材料」になっていて、逆にそれが無いと不安に感じてしまう。東京生活を通して、自分がいかに関西弁のイントネーションに安心感を覚えていたかを実感することになりました。
仕事の場面でもこの違いはよく出てきます。副業のコンサルティングの打ち合わせなどで、淡々とした口調で意見を伝えられると、「これは指摘なのか、単なる確認なのか」を読み取るのに一瞬迷うことがあります。関西弁だと、語尾やイントネーションのちょっとした変化で「これはちょっと本気で言ってるな」「これは軽い雑談だな」の温度感が自然と伝わってくるのですが、標準語のフラットな話し方だとその温度感が声だけでは読み取りにくく、最初の頃は表情や文脈から一生懸命推測していました。今ではだいぶ慣れてきましたが、それでも関西弁の「感情がそのまま声に出る感じ」が恋しくなる瞬間はあります。
大阪のおばちゃんの「飴ちゃん文化」。東京にはない距離感
もう一つ、東京生活で強く感じたカルチャーギャップが「知らない人との距離感」です。関西、特に大阪や神戸あたりだと、いわゆる「大阪のおばちゃんが飴ちゃんをくれる」みたいな文化が本当にあります。バス停で並んでいたら急に世間話が始まったり、エレベーターで一緒になった人に「今日暑いですね〜」と話しかけられたり。知らない人でも気さくに話しかける、ゆるやかな空気がそこかしこにありました。
私自身、関西にいた頃はマンション住まいだったのですが、それでも学校への登校中によく会う近所の人とは自然と挨拶を交わすようになっていましたし、犬の散歩をしている人と道ですれ違えば「かわいいですね、何歳ですか?」みたいな会話がふっと生まれる、そんな空気がありました。特別に社交的な人ばかりが住んでいたわけではなく、「知らない人でも気さくに話す」という土壌がそのエリア全体にあった、という感覚に近いです。
ところが東京に出てきてから、この感覚がびっくりするくらい通用しないことに気づきました。すれ違う人と目が合うことすら少ないですし、エレベーターで二人きりになっても会話どころか目線すら交わさないことがほとんどです。最初は「みんな冷たいのかな」とすら思ってしまったのですが、今では「これが都会の適切な距離感なんだな」と理解しています。人口密度が高くて、日々たくさんの見知らぬ人とすれ違う東京では、いちいち反応していたら日常生活が成り立たない、という合理性もあるのだと思います。
引っ越しの挨拶で、本気で驚かれた話
この距離感の違いを一番強烈に実感したのが、東京で引っ越しをした際の「ご近所への挨拶まわり」でした。関西の感覚が抜けていなかった私は、当たり前のように「これからお世話になります」とタオルか何か手土産を持って両隣と上下階のお部屋にご挨拶に伺ったのですが、その反応が予想外だったんです。
「わざわざすみません」というより先に、まず「え、挨拶に来る人なんているんですね」という、驚きの反応をされたことが何度かありました。中には、インターホン越しに困惑した声で対応されたこともあって、こちらの方が「あれ、これって非常識なことだったのかな」と一瞬不安になったほどです。関西では引っ越しの挨拶なんて当たり前すぎて疑問にすら思っていなかったので、この温度差にはかなり衝撃を受けました。
後から東京出身の友人に聞いてみたところ、「セキュリティ的な意味でも、知らない人が突然インターホンを鳴らしてくること自体に身構えてしまう」という話を教えてもらい、なるほどと思いました。オートロックのマンションが多く、そもそも「誰かわからない人が訪ねてくる」という状況自体に慣れていない、という背景もあるのかもしれません。関西の感覚を東京にそのまま持ち込むと、良かれと思ってやったことが逆に相手を驚かせてしまうこともあるんだな、というのはこのとき学んだ教訓です。
それ以来、東京では「挨拶に行くかどうか」を状況に応じて判断するようになりました。一戸建てが多いエリアや、比較的年齢層が高い管理組合のマンションなどでは、まだ挨拶文化が生きていることもある一方で、単身向けのマンションが多いエリアだとほとんど挨拶自体が想定されていないことも珍しくありません。関西にいた頃は「挨拶するかどうか」なんて考えたこともなかったので、こうして地域やコミュニティの空気を読みながら振る舞いを変える、という発想自体が東京生活で身についたスキルの一つかもしれません。
犬の散歩、通学路…関西では当たり前だった「ゆるいつながり」
改めて振り返ってみると、関西で過ごしていた頃は「顔見知りだけど名前は知らない人」とのゆるいつながりが日常のあちこちにありました。小学校の時登校中に毎朝すれ違う挨拶を交わす近所のおじさん、犬の散歩をしているおばあちゃんとの軽い世間話。誰かと深い関係を築いているわけではないのに、なんとなく「顔なじみ」がたくさんいる状態でした。
東京での生活は、それとは対照的に「大勢とすれ違うけれど誰とも関わらない」という感覚に近いです。人が少ないわけでは決してなくて、むしろ関西にいた頃より圧倒的に多くの人とすれ違っているはずなのに、関わりの密度で言うとむしろ薄くなっている。この矛盾した感覚は、東京生活が長くなった今でもたまに不思議だなと感じます。
- 近所の人と挨拶を交わす機会がほぼない
- エレベーターや共用部で会話が生まれにくい
- 「顔なじみ」ができるまでにかなり時間がかかる
こうして書き出してみると、寂しいことのように見えるかもしれませんが、実際に生活してみると「これはこれで楽だな」と思う瞬間も多いです。誰にも詮索されない、干渉されない気楽さは、都会ならではの心地よさだと思います。
それでも東京生活で見えてきた「心地よさ」
ここまで関西と東京の違いをいろいろ書いてきましたが、決して東京生活が悪いと言いたいわけではありません。むしろ、住めば住むほど東京にも東京なりの良さがあることに気づいてきました。例えば、人との距離感がドライな分、自分のペースを崩されにくいというのは、社会人になってからかなりありがたく感じています。本業の仕事終わりに副業のミーティングを入れたり、休日に自分の趣味の時間をがっつり確保したりと、誰にも気を遣わずに自分の生活リズムを組み立てられるのは、東京の「関わりすぎない文化」のおかげでもあると思います。
また、東京は選択肢の多さが圧倒的です。ふらっと立ち寄れるカフェの数、休日に行けるイベントや展示の種類、電車一本でアクセスできるエリアの広さ。関西にいた頃には無かった刺激をたくさんもらっていますし、それが今の自分の視野を広げてくれている実感もあります。カルチャーギャップに戸惑いながらも、少しずつ「東京での自分なりの心地よい距離感」を見つけてきた、というのがここ数年の実感です。
高校時代、国際科のある学校で英語を学んでいたこともあって、もともと「自分と違う文化に触れること」自体は好きなタイプでした。当時は帰国子女やハーフの同級生に囲まれて、「異なる価値観を持つ人と接するのは面白い」という感覚がありました。その感覚は今回の東京生活での気づきにもつながっている気がします。海外ほど大きな違いではなくても、同じ日本の中でこれだけ文化の違いがあるというのは、実際に住んでみないとなかなか実感できないことだと思います。
関西と東京、どちらが好き?今の私が思うこと
「結局、関西と東京どっちが好き?」と聞かれることもあるのですが、正直なところ今はどちらも好き、というのが本音です。神戸で育った感覚は今も自分の中にしっかり残っていて、実家に帰ると「あ、この空気感、落ち着くな」と安心しますし、道で知らない人と自然に会話が生まれる感じも、恋しくなる瞬間があります。一方で、東京の適度な距離感や、自分のペースで生活できる感覚も、今の自分の生活スタイルにはすごく合っていて手放しがたいです。
カルチャーギャップというと「どちらが正しいか」を決めたくなる話になりがちですが、実際に両方の場所で生活してみると、それぞれの文化にはそれぞれの合理性や優しさがあるんだなと感じます。関西の「気さくに話しかける文化」は、孤立を防ぐセーフティネットのような役割を果たしていると思いますし、東京の「干渉しすぎない文化」は、多様な人が密集して暮らす都市ならではの知恵なんだと思います。どちらの文化で育った人にとっても、相手の文化を「冷たい」「うるさい」と決めつけずに、「そういう合理性があるんだな」と捉え直せると、カルチャーギャップも案外面白がれるものなんじゃないかなと思っています。
この記事を読んでくださっている方の中にも、地方から都会に出てきて似たようなギャップを感じた経験がある方、逆に都会から地方に出てカルチャーショックを受けた方、いろいろいらっしゃるんじゃないかなと思います。もしよければ、皆さんが感じたカルチャーギャップのエピソードもぜひ聞いてみたいです。
最後まで読んでくださってありがとうございました。ぐーたらしつつも堅実に、でも享楽的に日々を過ごしている様子は、XやInstagramでも発信しているので、よければのぞいてみてください。関連する暮らしの話は日記の書き方について書いた回や、このブログを始めたきっかけを書いた回でも触れているので、あわせて読んでいただけると嬉しいです。本業と副業のバランスについて書いたベンチャーで副業してみた話にも、東京での働き方に関するエピソードが少し出てくるので、気になる方はそちらもどうぞ。
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